2007年03月16日 01:10 ジャンル: [ビジネスハウツー] |
高橋淳二 |
世間知とは、もともと仏教の言葉なんです。世間智、と書きまして、「ち」の字が違うんですが、仏教では仏の智慧以外は、すべて世間智と呼ばれます。つまり仏の目から見れば、しょせん、経済学も社会学もみんな世間智にすぎません。傲慢な態度を改めないと、成仏できませんよ。
(P.23より引用)
自称イタリア生まれの30代だが、イタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするというパオロ・マッツァリーノ氏の最新刊。家政法経(かせいほうけい!)学院大における講演というカタチになっており、「肩書きを聞かれたときには、庶民向けにおもしろおかしい本を書いていた江戸時代の人たちにならいまして、戯作者と名乗ることにしております」との文章があるとおり、“戯作者”として世の中の権威やデータにつっこみを入れていきます。
本の中身は「第一夜」「幕間」「第二夜」に分かれています。「第一夜」は「つっこみ力とはなにか もしくは なぜメディアリテラシーは敗れ去るのか」。本当に大切に思っている相手にはわかってもらおうと必死に伝える努力をするでしょ、その愛情を学生や一般人に向けないのが学者ってもんで…と、「専門知」などという“鼻持ちならない考え”を一刀両断しながら話を展開。伝わってナンボ。おもしろくってナンボ。
学問は秀才の業、お笑いは異才・鬼才の業なのです。必要とされる資質は、まったく異なるのです。
(P.46より引用)
さらに、メディアリテラシーという、馴染みのない、流行らない言葉に対して「つっこみ力」と改名したらどうか、と提案していきます。漫才における「ボケ」「ツッコミ」という呼び名がいつごろ成立したか、なんていう話も織り交ぜつつ、ユーモアとギャグについて話が進みます。爆笑も引き起こさないけれど、すべって恥をかくこともない、リスクのないところでユーモアを語る“秀才さん”たちにツッコミを入れていくのです。
批判力と「つっこみ力」は違う。批判力は減点法に基づいているので、相手や周囲を不快にさせる。何か間違いに気づいたとき、お笑い芸人だったらどうするか。「ひとつ。場を盛り上げられるかどうか。ふたつ。それが自分にとっておいしいかどうか」。面白さなくして人の心は動かない、唯一の正解はない。民主主義とはおもしろさのことである、と展開しています。
そういうわけで、とても意外な結論なんですが、日本の自殺を減らすための確実な方法のひとつが、住宅ローンの方式を変えることなんです。
(P.208より引用)
「第一夜」の後半から「幕間」を経て、第二夜に向けては、さまざまな権威やデータに具体的なツッコミが入れられていきます。インセンティブ理論について、犯罪発生率について、そしてデータについて。「タバコをいっぱい吸えばまた高度経済成長も実現できる」ことすらデータを駆使すれば論じることができてしまう、では一体データとは何か?ということを考えさせてくれる内容になっています。
本の中でも書いてあるとおり、パオロ氏はデータというものがすごく好きなことがわかります。と、同時にこれもまた本に記してありますが、データほどくだらないものもない、とも思っている。このあたりのバランス感によって誕生した存在こそが「パオロ」という人物なのでしょう。仏教や落語や江戸時代の長屋やお笑いシェークスピア劇が持っている懐の深さを大切にしつつの「いいかげん」が大事、というきわめて真っ当な意見提案に納得させられます。
その真っ当な意見を(少なくともイメージ上では)イタリア人が江戸前なテンポで歯切れ良くしゃべっているので、真正面から論じられている気がしない。それがこの本の絶妙なところです。
この記事のトラックバックURL:
http://www.jetinc.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/9
ユーモア・ギャグについて。ボケ・笑いをとりに行くことにも共通するのは、時に場が凍りつくことやスベるリスクを覚悟しつつ、いかに突っ走って?場を盛り上げるか、だと思います。爆笑になるも、場がしらけるもその場の雰囲気をガラリと変えたことに変わりはなく、そういったいい意味でのアイスブレイカーはいつの時でも
求められていますよね。つまらないギャグがきたら、それをネタに切り返しでその場の笑いをさらう、あつかましさもときには有効だと思います。
hedge (2007年08月16日 21:28)